事実を淡々と書いていきますので、つまらなかったらごめんなさい・・・。
タイトルの通り、コロナ禍で妊娠・出産をしました。
きっとこれから出産を控えている方も、不安な日々を過ごされていることと思います。
そんな方々に、私の妊娠生活~出産後までをありのままにお伝えしたいと思います。
最後までお付き合いしていただけたら幸いです。
はじめに
妊娠がわかったのは、2019年秋のことでした。
その頃は世界中がこんな事態になるとは思いもしませんでした。
そして2020年に入り、世間で”新型コロナウイルス感染症“(COVID-19)が大きく認知されはじめました。
それから2020年夏、無事出産するに至りました。
仕事のこと
私は外回りをする営業の職に就いていました。
元々産休に入るということで、一定の時期に外回りから内勤の営業に異動する予定でした。
内勤では電話やメールなどでできる営業のほか、新人研修、社内の諸々の雑務などを引き受ける予定でした。
しかし、コロナ騒動が起こり、会社から在宅ワークを命じられました。(ほとんど強制的に在宅ワークを言い渡されました。)
仕事を辞めなければならない方や、在宅ワークができない方もいらっしゃるなか、恵まれている環境でした。
非常に有難い話ではありましたが、急なことだったため(命令の翌日から在宅ワーク)、
予定していた業務や引き継ぎは全て中止になり、非常に戸惑いました。
また、できなかった業務に関し、同じ職場で働く方々に非常に申し訳なく、肩身の狭い思いをしました。
私が産休に入る前の挨拶もオンラインになり、机の整理もできないまま、産休入りしました。
通勤のこと
通勤は電車でした。
朝は身体を押して入るほどの満員電車、夜は3回に1回は座ることができるくらいの混雑でした。
マスクをしていない方もちらほら見かけられ、そういう方が咳やくしゃみをしたり、誰かと話をしていたりすると、不安になったことを覚えています。
しばらくして会社からの配慮で在宅ワークに切り替わり、通勤に関しては心配がなくなりました。
マスクのこと
2019年末の検診で、風しんの抗体価が低いため、医師にマスクをつけるように言われていました。
そこでドラッグストアに行き、マスクを箱買いしていました。
それが後に非常に役立ちました。
しかし、そのうち蓄えもなくなり、親族から分けてもらったり何度も同じマスクを使ったりして、マスク不足を凌ぎました。
夫のこと
夫も仕事でたくさんの人と接します。
また、当時、夫の会社では飲み会が開催されることもしばしばありました。
極力飲み会は断って欲しい旨を夫に伝えましたが、私も営業職を経験してきた身でもありますので、断ることができない事情は、非常に嫌々ながらも、理解しているつもりでした。
仕方のないものは「なるべく早く帰って来てね」と見送るしかありませんでした。
赤ちゃん用品のこと
出産準備のため、さまざまなものを用意しなければなりません。
しかしコロナ騒動でお店にも気軽に行けなくなり、ネットで必要なもののほとんどを揃えました。
そんな中、一番困ったのがガーゼでした。
赤ちゃん用ガーゼをマスク作りに使う方がいるようで、マスクが品薄になった後、ガーゼが品薄になりました。
定価よりもかなり高い値段で販売されているものもありました。
また、おむつ、哺乳瓶などの消毒液も品薄になっていました。
まだ出産前だったので、量を揃える必要がなく、私は困ることがありませんでした。
子どもがいつ産まれてくるか分からない状況で、”物が無い”という焦りは、非常にストレスでした。
妊婦健診のこと
産院はマスク必着と、受付での検温がはじまりました。
他にも妊婦さんが多くいらっしゃって、皆さんのピリピリした空気を感じました。
夫や他の親族も余程の事情がない限り、付き添いはできなくなりました。
夫はエコーを楽しみにしていたので、付き添い禁止はショックだったようです。
コロナ騒動がある前に一度だけ、付き添いでエコーが見れたので、それだけでも良かったね、と2人で話しました。
母親学級・両親学級のこと
はじめての子どもなので、おむつ交換から沐浴まで、わからないことだらけでした。
母親学級、両親学級などを申し込んでいましたが、開催が中止になってしまいました。
その分、夫と動画をたくさん見て予習しました。
また、当時、私は現在の土地に移り住んで1年未満でしたので、同じぐらいの妊婦さんと情報交換ができるのを楽しみにしており、そういった場が無くなることは寂しくもありました。
立会出産のこと
立会出産は禁止でした。
しかし産院側の配慮で、生まれる直前に夫に連絡が入り、夫は生まれるまで別部屋で待機していました。
生まれた赤ちゃんと夫は5分ほど面会できました。
分娩時のこと
私の産院では分娩時のマスクは強制されませんでした。
陣痛時、これまでかいたことのない大量の汗をかいていたので、あの状態でマスクをしなければならないのは相当苦痛だったろうと思います。
しかし、マスク必着の産院もあるそうです。
ただでさえ呼吸が苦しいのに、あの状態でマスクをして息ができるのか・・・私には想像もつきません。
また、陣痛が始まってからは何も考えられていませんでしたが、後から考えると、陣痛に耐えながらふーっと息を吐くとき、助産師さんや看護師さんはどんな思いでいたのだろうと思います。
嫌な顔ひとつされず、親身に向き合ってくださり、いま思い返すと、感謝しかありません。
面会のこと
面会は一切禁止でした。
面会が禁止になったことで、産院に持って行く荷物に関しては大変でした。
私は出産予定日を過ぎても赤ちゃんがなかなか産まれなかったため、計画入院をすることになりました。
そのため、通常の5~6日分の荷物に加え、1~2日分の荷物も必要でした。
産院では洗濯も難しいとのことだったので、ボストンバッグ2つとトートバッグに荷物をパンパンに詰めて行きました。
どうしてもという荷物は、病院の外で預かってくれるとのことでしたが、ただでさえ忙しい産院の方にご迷惑をかけたくなかったこともあり、大量に荷物を持って行きました。
面会禁止ということで、夫を含め、その他親族や友人などがお見舞いに来ることはありませんでした。
私は寂しいという感情はなく、ゆっくり休めて良かったです。
生まれたばかりの赤ちゃんを見せたい気持ちがないこともなかったですが、慣れない授乳やミルク、おむつ替え、これまで寝ていた時間よりも短いスパンの睡眠が意外とキツく、お見舞いの度に軽く着替えたりお化粧したりする時間がなかったのは良かったのではないかと思います。
また、夫はコロナ騒動が起こる前、「毎日病院に面会に行く!」と、生まれたばかりの赤ちゃんに会うのを楽しみにしていたので、面会禁止はショックだったようです。
代わりに毎日写真を撮って送りました。
入院生活のこと
他の入院している方との接触はほぼありませんでした。
個室だったからかもしれません。
もし大部屋だったら、ずっとマスクをしていなければならなかっただろうと思うので、個室で助かりました。
産後は普段体温が低い私ですが、体温が37度まで上がり、しかも夏だったので、四六時中マスクをしていなければならないのは辛かっただろうと思います。
最後に・・・
コロナに感染することなく、無事に出産できたのは本当に良かったですが、マタニティライフをもっと楽しみたかった、というのも本音です。
感染を避けて家に籠る生活が続き、夫以外とはほぼ誰とも(親族、友人知人、職場の方など)会えず、孤独に感じる日々が続きました。
出産後も、直接会うことができていない方がたくさんいます。
様々なニュースに振り回される日々でもありました。
そして、産院が立会出産や面会が禁止になった頃、
夫から「立会出産や面会ができる産院に移るのはどうか」という提案もあり、葛藤もありました。
産むのは”女”である私ですが、夫との”2人の子ども”なので、夫の意向も汲みたいという思いがありました。
しかし、結果、立会出産や面会にはそれだけ感染のリスクが増える恐れもあり、産院を変更することなく出産しました。
大変な状況下、妊婦健診から出産までを受け入れてくれた産院にはとても感謝しています。
私は妊娠中、「マスクはしなければいけないのだろうか」「他の産院の面会はどうなっているのだろうか」と、やはり周りの状況も気になっていました。
今回のこの投稿も、誰かの参考になっていれば幸いです。
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